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癒しの必要性

なぜ『癒し』が必要なのか?


私が思う必要性を書いてみたいと思います。


以前の私は、癒しの必要性を全く理解していませんでした。

癒しは、傷ついた人が受けるもの。私は大丈夫

そう思っていたのです。


私は大丈夫


一番危険な言葉かもしれません。

だって、この頃の私は、自分を顧みることも受け入れることもせず、ただ我武者羅に、そして心が折れないように必死に何かと戦いながら生きていたから。


そんな時を経て、今の私が感じる癒しとは・・・


今を越える、成長するための心と肉体のエイドステーションのようなもの。


※エイドステーションとは、マラソン大会などでコース沿いに設置された補給食や飲み物を提供する場所のこと


過去の辛い出来事や苦しい出来事、過去生からの宿題などで、表面的だけじゃなく、深い部分で傷ついたままになっている部分を癒すことで、切り離してきた自分を受容し、強くなる!!


そんな感じです。


可愛そうだから癒すのではなく、再び歩き始めるために癒すのです。


道端で転んだ子供の膝に絆創膏を貼って、あめ玉一個ほおばって、すくっと立ち上がって、また歩き始める。


だから、疲れたらエイドステーション。力が湧かなくなったらエイドステーション。

そんな感じで、何度でも必要と感じる時に癒しのサポートを受けて頂ければと思っています。


その度に、行ってらっしゃいと背中を見送りたいと思っています。


決して、ネガティブな言葉や脅すような言葉で、ヒーリーングを受け続けさせる事は致しませんし、私の中ではそれは癒しではないと考えています。




 
 
 

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